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* Do Be Do Be Do *

あ〜、と腹落ちする瞬間がたまらんです。

固定観念や思い込みだらけの世の中

「わたし、イスラム教徒なの。」

 

障害教育のクラスで、ある白人の女の子が言った。

 

あなたはどんな排他的な態度をとられた経験はあるか、という質問に対しての答えだった。

 

イスラム教徒だったクラスメイトに、私もイスラム教徒なのって言ったら信じてもらえなかった、という経験をしたことがあるらしい。

 

同じイスラム教徒なのに。彼女はそこを強調していた。

 

これを聞いた時に、少し驚いた自分もいた。

 

白人でイスラム教徒って出会ったことない。いや、そういや昔モロッコ人のイスラム教徒の女の子がいたな。彼女も白人よりの見た目だった。

 

驚いた自分がいたということは、イスラム教徒=中東系という思い込みが自分の中にまだあったってこと。世の中の固定観念だとか、思い込みとかには敏感であるつもりでも、まだまだ拭い去れない自分の中のイメージはたくさんあるもんだ。

 

 

中東系=イスラム教徒

 

白人=キリスト教徒

 

インド人=ヒンドゥー教徒

 

アフリカ人=黒人

 

白人=英語喋る

 

教育というのは、植え付けられてきた固定観念や思い込みを取り除くこと(unlearn)だと聞いたことがある。

 

確かにそうだよな、と思った。

 

新しいことを知ることは、自分のなかの判断材料が増えるということ。

 

判断材料が少ないがゆえに、短絡的な思考をしてしまうんだろうな。

 

植松努さんも言ってる。

 

精神的の発達とともに、

人間は、複雑な物事を複雑なままとらえられるようになるそうです。

ということは、精神的に未成熟な場合は、

物事を極度に単純化し、白黒つけたがるのかもしれません。

 

犯罪や事故のニュースを見たときに、 

「だから〇〇はダメなんだ!ゆるせねえ!」とか思うのは、思考が単純である証拠だと思います。

そうではなくて、

「なんでかなあ?」と考えた方が、いろんなことを考えられて、それは、きっと、脳を発達させます。

 

「なんで、手厚い報酬を棒に振るうような犯罪を犯せたのかなあ?」

「なんで、自分を抑えられなかったのかなあ。」

「自分だったら、どうかなあ。」

と考えたら、もしかしたら、犯罪に至る思考や、犯罪の兆候を考えることができ、それは、自制心や、周囲へのケアにも役立つかもしれません。

 

世の中も、人間の心も、おもったよりも複雑です。

 

単純な理由付けをできないほど社会は複雑なのに、私たちの周りは固定観念と思い込みに溢れている。それは、きっとそのほうが楽やから。〇〇=〇〇って思い込むだけで、それ以上考えなくて済むから。

 

中国人は〜やから、嫌い。

韓国人は〜やから嫌い。

よく聞きます。

 

イスラム教徒はテロリスト。

移民増加は治安を悪化させるから反対。

精神病者は危険。

障害者は特別な支援が必要だから、特別施設に入れたほうがいい。

こういう固定観念を持っている人も多いと思います。

 

 

 

 

身近な問題から国際問題まで、すぐに決めつけずに、「なんでだろう」とこれからも問い続けるようにしていきたい。

 

ムスリムの子の発言ではっとさせられたのでした。