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* Do Be Do Be Do *

あ〜、と腹落ちする瞬間がたまらんです。

四年間の留学生活で学んだことは、自分は自分でいいんだということでした。パート2

 

自分が何者かわからなくなっていた私にとって、留学先はすごく心地が良い環境でした。街には、黒人、白人、アジア人、南米人、先住民系がごちゃまぜに生活していて、ぱっと見る限り誰がアメリカ人で誰が外国人だかわかりません。ミックスの人もたくさんいるし、みんな思い思い生活している。

 

私が日本人だろうが、中国人だろうが、ミックスだろうが、そんなことは日常生活では気にしなくていい環境がとても楽でした。日本で思った以上に窮屈さを感じていたんだなあと、外に出て初めて気が付きました。

 

英語と格闘しながらも、半年後にはAsian Student Associationという団体に入り、アジア人の留学生、アジア系アメリカ人と交流するようになりました。アジア系アメリカ人の経験を聞いてみると、私と同じようなアイデンティティのグラつきを経験していることがわかりました。たとえアメリカでも生まれ育っていたとしても、アジア人=外国人というステレオタイプがあり、彼・彼女たちはしょっちゅう「Where are you from(どこから来たの?)」と聞かれる。

 

自分のことをどういうふうに定義(identify)しているの?と聞くと、

「I am American, but I am also Chinese, Filipino, Korean, Japanese, Vietnamese.」という答えが返ってくる。

 

これを聞いた時に、ああ、両方でもいいのか。というとても単純明快な答えにたどり着きました。私は中国人であり、日本人である。それでいい。

 

今までどっちかにならないといけないと思い込んでいた私にはちょっと拍子抜けだったけど、とても楽になりました。

 

二項対立で物事を考える社会では、どちらかに所属しないといけないプレッシャーがあるように思います。アメリカ人か外国人か。日本人か中国人か。男か女か。女が好きか男が好きか。グレーな状況に慣れていない私たちの多くは、相手が何者かはっきりわからないときに白黒つけたくなる。でも、アイデンティティっていうのは、もっと複雑で、時と場合で変化していくものだということを、アメリカで学びました。

 

自分は、中国人でもあるし、日本人である。

 

誰がなんと言おうが、私は私のままでいていいんだと心から思えたことは、自分に自信を持つきっかけにもなったし、肩の荷がおりて、いろいろなことに挑戦するきっかけにもなりました。中国人である自分を受け入れられたこと、そしてその結果家族との絆も深くなったことは、一度日本から出ないと経験できないことでした。そういった意味で、アメリカ留学は私の人生の転換期であり、第二の人生の始まりでもありました。

 

私は海外に出させてもらえる環境があったけれど、日本には、それができない外国にルーツがある子ども、若者がいる。そういった人たちに、日本にいても、あなたはあなたのままでいいんだよと思ってもらえる機会づくりをしたいなあ、と今は思っています。

 

自分を受け入れた(と思った)自信から、アメリカ2年目はひたすらいろんなことに挑戦し、走り抜けた時期でした。だけど、アメリカ3年目にして、またまた新たな分厚い壁にぶつかったのです。

 

パート3に続く。