* Do Be Do Be Do *

あ〜、と腹落ちする瞬間がたまらんです。

四年間の留学生活で学んだことは、自分は自分でいいんだということでした。パート1

 

2016年2月23日で、アメリカ生活4周年を迎えました。大学卒業も6月に控え(必修授業を取れれば)、(結局8月になりました)。自分の留学生活を振り返ってみよう、ということでざっくり思い思いのまま書いてみようと思います。

 

私がアメリカに来て学んだこと、それは英語もそうだけど、一番は自分自身についてです。アメリカに来るまで、それまでの21年間、わたしは自分のことが嫌いでした。自分に自信がなくて、卑屈で、常に周りと比べて、見下すことによって自分を保っているような人間でした。

 

振り返るといろいろな要因があると思うけれど、一番は自分のアイデンティティの不安定さが、自信のなさに繋がっていたと思います。

 

私の家族は中国からの移民です。私は中国内モンゴル自治区で生まれ、3歳の時に、日本にやってきました。お母さん側の祖母が中国残留孤児で、10代のころに開拓団として中国東北地方に出向し、数カ月後に日本は戦争に負けました。関東軍は一般市民を残して撤退し、祖母たちは中国で生活することを余儀なくされました。

 

その後、祖母は父を亡くし、姉を知らない人に連れていかれ、弟とは生き別れ、60歳近くまで中国で生活していました。90年代に親戚と連絡がつき、祖母は祖国に帰ることを決め、祖母側の家族が日本に移住したのが、私が3歳のときでした。

 

そんな感じで、私は自分が中国人であることを意識しながら、日本で育ちました。子どもというのはおもしろいもので、日本社会における中国人の扱われ方を自然と汲み取り、小学生の頃には自分が中国人であることを恥じるようになっていました。

 

中学になると更に悪化して、親と中国語を話しているのを見られるのが嫌だから一緒に外出するのも嫌、親の中国訛りの日本語を聞くのが耐えられないから、親が日本語で電話に出ているとその場から逃げるとか、同級生に中国人であることがバレることを怖がり、誰も家に呼んだことないし、とにかく必死に「日本人」らしく振る舞っていました。高校では少しずつ様子を見ながらカミングアウトできるようになったけれど、それでも初めて友達に打ち明けるときは、心臓がバクバクしていたのを覚えています。

 

一番のトラウマは、修学旅行でオーストラリアに行った時に、自分だけ中国パスポートで再入国ゲート(永住者用)を通らないといけなかったことでした。このトラウマは、私が日本人に帰化したいと思い始めたきっかけだなと振り返って思います。

 

日本の大学に進学してからも、タイミングがあれば自分のことを話すみたいな感じで、ゆっくりと自分のことを受け入れ始めてたのかもしれないけれど、根本的には中国人である自分を否定していました。同級生たちが海外ボランティアやら、バックパッカーやらしているなか、中国パスポートで海外に行くことが嫌という、今思うとアホらしい理由で海外にも行ってませんでした。

  

中国人であることが嫌、日本人になりたいという思いは強くなる一方で、19歳のときに、帰化することを両親にお願いしました。日本の法律では、20歳になると親の同意なしに帰化することができます。でも、私はその一年が待てずに、結果的に母親を道連れにして、母と一緒に日本人に帰化しました。(追記:実は帰化というのは20歳以上なった人がする手続きで、私の場合は帰化ではなく国籍変更みたいです。)

 

晴れて「日本人」になった私は、全てのしがらみから抜け出せて楽になると思っていました。でも、待ち受けていたのはアイデンティティのグラつきでした。紙の上では日本人になりました。でも、家では中国語を話すし、正月はおせちじゃなくて餃子を食べるし、お雛様を飾ったこともない。日本の文化とか正直よくわからない。

 

あれ、おかしいなあ、私ぜんぜん日本人じゃない。。かといって、中国の文化もぜんぜん知らないし。なんだか中途半端だなあ。100%日本人でもないし、100%中国人でもない。そもそも、日本人であるってどういうこと?私って何なんだろ、、そんな疑問が生まれて、すごく気持ち悪くなりました。

 

そういう気持ちを持ちながら、だんだんと国内の差別問題にも興味が湧き始め、芸能人の中に在日朝鮮、韓国人であることを隠して活躍している人がいることを知ったりして、本当の自分を隠さないと生活できない日本社会に憤りを感じ始めるようになりました。そして移民大国のアメリカでは、みんなどうやって自分のアイデンティティを確立して生きているんだろうと、気になり始めたのが留学を考え始めたきっかけでした。

 

そしてそして、2012年2月、アイデンティティ・クライシスを迎えた私は、何かヒントを得られるんじゃないかという期待を胸に、アメリカに旅立ったのでした。(一年後には帰ってくる予定で。)

 

パート2に続く。